水とワイン
地球が惑星としての力を失いつつある、というセリフが火の鳥の映画、火の鳥2772 愛のコスモゾーンの中にある。
惑星としての力って何なんだろうと考えていたのだけれど、とても面白い話を聞いた。
神は水をワインに変えてしまいました、という新誓約書のなかの文がどういう意味なのか、という話なのだけれど、その文は神は不思議な力で水をワインに変えてしまいました、という話ではなく、水という物質はすべての生命の始まりだ、という意味らしい。
そもそも水がなければワインの原材料であるブドウが育たない。そしてブドウが育つには太陽の光はいい土が必要だ。新しい命を作り出すためのその要素すべてがつまりは神の力なんだそうな。自然が持つ生命の力こそが神の力らしい。
惑星としての力、とは生き物を育む力の事なのかもしれない。水で地上を潤わし光で地上を温め命を与える。
その話を聞いたときなるほど、と感動してしまった。新誓約書を読んでみたくなった。
魂ってどこから来るんだろう、と考えてみたことがある。けれど答えは永遠に出ない。
人も動物も死んだらどこかに行くのだろうけれど、それがどこなのか分からない。宇宙?太陽?
そしてその話をしてくれた友人は食べ物について凄い意見をいっていた。
人間は肉と魚を食べるけれど、その食べる部分はすでに死んでいる動物からとってきている。だから生命の力はそこに宿ってはいない。けれども野菜、穀物、フルーツは収穫したままの状態で食べることができる。だから生命の力をそのまま頂くことができる。だから食物を食べることは体にとってベストなんだ、というものだった。
なんだかヴィーガンフード万歳!みたいに聞こえるけれどその発想は初めて聞いた。
肉も魚も死んでいる、それを食べるって本当はものすごく残酷なことなのよね。食べるという行為に対してすごい考えが改まった。
人間って結局動物で、体にとって負担の少ないものを
食べるほうが勿論体にもいいことだけれど、食べ物そのものがエネルギー体というふうにとらえたことがなかった。ほんとうにエネルギーと命を頂いているのだ。
この二つの話が私の中に随分しっくり入ってきた。食生活も少し変わってしまったくらいだ。風邪をひいてから何となく野菜中心の生活をしてきたけれど、体は生の植物や穀物を一番欲しがっているのだ。もちろん魚や肉も食べるけれど、その話を聞いてから野菜を一番に食べるようになった。
地球が死ぬときというのは水がなくなったときなんだと思う。水が命の源なのだ。水がなくならないように、地球が死なない、できれば潤った世界をつくるためには環境問題
が解決されないといけないけれど、なかなか簡単には解決しない。お金が欲しい大企業は巡り巡って地球を汚しながらビジネスをしている。その大企業にお金をできるだけ払わずに、自分で作れるものは自分で作る、なるべく電気を使わない、という行為が私にできる抵抗な気がする。あんまり自然の掟に逆らわない生き方をしたいと思う今日この頃。